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【週刊】Classic Music Salonへようこそ#18 ~第一次世界大戦開戦から100年・・・2つの戦争を経験したソ連の作曲家ショスタコーヴィチ①

みなさんこんにちは。三毛猫タマです

第一次世界大戦を生きた作曲家シリーズ。
今回からしばらくは、社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」で2つの戦争があった時代を生き、スターリン独裁の時代を生きた作曲家ショクタコーヴィチについて記事を書きたいと思います。

ソ連という国はまさに第一次世界大戦が生んだ国と言っても過言ではないでしょう。
この戦争が始まった原因は各国が展開した「帝国主義政策」の衝突であり、その帝国主義を乗り越えた先にある思想が、レーニンの唱えた「社会主義」でした。そして、その社会主義を具現化したのが「ソ連」だったのです。

第一次世界大戦が開戦された1914年、ロシアは帝政国家で、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の治世下にありました。しかし戦争が始まってからロシアの国家状況は悪化、1917年には2月革命が勃発します。このときショスタコーヴィチは11歳でした。レーニンが亡命先スイスから帰国後4月テーゼが発表され、革命はさらに激しさを増し、11月にケレンスキー臨時政府は国内混乱を理由に戦争続行は不可能と判断、ドイツと単独講和交渉に入ります。そして翌年3月に講和成立、それとともに内戦へと突入します。ロシア共産党が政権を確立しソヴィエト政権が安定したころにレーニンが病に倒れ、後継者争いが起こります。1924年にレーニンがこの世を去り、翌25年にはスターリンが政権を掌握(党大会でスターリンが唱えた「一国社会主義理論」が採択された年)、この時ショスタコーヴィチは19歳でした。

それからというもの、ショスタコーヴィチはスターリンの圧政下で多くの曲を残しました。しかしそれは粛清という恐怖との戦いでした。少しでも当局が気に入らないと容赦なく関係者が銃殺刑にあうような恐怖の時代でした。

彼に関する書籍は何冊かありますが、今回私が記事を執筆するうえで参考にした資料をここに挙げておきます。
①工藤庸介著『ショスタコーヴィチ全作品解読―ユーラシア選書4―』東洋書店・2006年刊
②ミハイル・アールドフ編、田中泰子監修、「カスチョールの会」訳
 『わが父ショスタコーヴィチ―初めて語られる大作曲家の素顔』音楽之友社・2003年刊
③ソロモン・ヴォルコフ編、水野忠夫訳『ショスタコーヴィチの証言』中央公論社・1980年刊
一番参考にしたのは①です。これは様々な文献に基づいて著者である工藤氏が体系的にショスタコーヴィチの作品を解説した書籍です。曲ごとにピックアップしていく当ブログの形式に一番合う書籍と言えるでしょう。②はショスタコーヴィチの実子が語った父の回顧録です。③は西側諸国に衝撃を与えた書籍の1つで、この本の真偽について大論争が起こったことは有名です。私は一つの参考資料としてこの作品も参照しました。

では、前置きはこのぐらいにして。本題へと参りましょう。
今回はショスタコーヴィチの作品の中でもとくに有名な交響曲第5番についてです。


スターリンが政権を掌握してから10年。ロシア国内の状況は大きく変わっていた。
粛清が始まり、スターリンの思想と相反することを唱える者は弾圧された。
標的になったのは政治思想だけじゃない。芸術もその対象となった。音楽を糧に生きていたショスタコーヴィチもその粛清におびえながら生活していた。
目をつけられたら最後、シベリアの収容所行きとなる。生きて帰ることは稀だ。極寒の収容所に送られた者は銃殺されるのがお決まりだった。
1936年、ついにショスタコーヴィチにも粛清の恐怖が迫ってきた。これが『プラウダ批判』だ。党中央委員会機関紙『プラウダ』に「音楽のかわりに荒唐無稽」と題する論文が掲載されたのだ。
標的となった作品は1934年に初演された歌劇『ムチェンツク郡のマクベス夫人』である。初演から批判的意見はあったものの概して好評だったが、一度スターリンが側近を引き連れてこの歌劇を鑑賞したことで状況が一変、その2日後に前述した記事が発表され、彼は文化統制のやり玉に挙げられてしまったのである。さらにその論文が発表された1週間後には1935年に発表されたバレエ音楽『明るい小川』も「バレエの偽善」と批判の標的にされ、ショスタコーヴィチは窮地に立たされることになった。姉の夫は強制収容所に送られ、姉もキルギスに追放、妻の母は収容所、伯父は銃殺刑に処せられた。本人もNKVD(内部人民委員部、のちのKGB)に呼び出しを受けていた。そんな状況下で作曲されたのがこの交響曲第5番であった。
ショスタコーヴィチは、この曲について多くを語っていない。作曲時に浮かべた構想、作曲時の思いなど、いまだに不明な部分が多い。その解釈如何によって演奏も大きく変わってくる。この曲はだれが指揮を振るかで大きく雰囲気が変わる曲である。
初演は1937年11月21日、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルの演奏であった。ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーはこの曲の初演で知り合い、ムラヴィンスキーはこの曲で頭角を現し後にレニングラードフィルの首席指揮者に就任することになる。ショスタコーヴィチも彼の才能を認め、これ以後重要作の指揮はムラヴィンスキーにお願いするようになる。
初演は十月革命20周年を記念する演奏会で行われ、大成功を収めた。当時ソ連作家同盟議長を務めていたA.N.トルストイは「こういう偉大な旋律と思想を届けてくれたわれらの時代に栄えあれ。こういう芸術家を生み出したわが国民に栄えあれ」と賛辞を送った。当局もこの曲を歓迎した。
初演から数か月後、彼は初めてこの作品についてコメントした。彼は次のようにコメントした。
「私の新しい作品は、抒情的英雄的交響曲といってもいいと思う。その基本的思想は、人間の波瀾の生涯とそれを乗り切る強いオプチミズム(=楽天主義・楽観主義のこと[著者注])である。私はこの交響曲で、大きな内的、精神的苦痛に満ちたかずかずの悲劇的な試練を経て、世界観としてのオプチミズムを信ずるようになることを示したいのである。ソ連作曲家同盟レニングラード支部で討論した際、ある人たちは、この第5交響曲を自伝的作品と呼んでくれた。それはある程度までは当たっている。」
大きな内的、精神的苦痛。これはきっとプラウダ批判で受けたものだろう。自分の作品を否定され、それだけでなく自分の親族までが追放され、殺され、追い詰められた経験。これは表現しがたい苦痛であったに違いない。彼はよく自分の作品を「自伝的作品」と呼んでいた。この曲も、その批判を乗り越えていく自分の感情の揺れ・葛藤を表現したものであると私は思う。
さらに、彼は自身による「私の創造的回答」という論文の中で、次のように述べている。
「私をことのほか喜ばせたものが一つありましたが、それは交響曲第5番が正当な批判(=プラウダ批判と考えられる[筆者注])に対する一人のソビエト芸術家の実際的かつ創造的な回答である、というものでした。」

【各楽章について】
この曲は古典的な4楽章形式の曲である。
<第1楽章>
Moderato - Allegro non troppo 4/4拍子
弦楽器による重い旋律から始まる。希望の見えない暗い光景を彷彿とさせる。途中雲の切れ間から時々光はさすのだけど、暗い雰囲気が曲全体を支配していく。
その暗さは鉛のような重たい暗さではなく、まるでロシアの冬の寒さのような暗さである。
彼が当局から批判を受けていたころの雰囲気を表わしているともとれる。
出てくるコードが、足元の落ち着かない、しっくりこない和音に聞こえる。スコアが手元にないので楽譜上で確認できないが、敢えてそのような和音にしているのだろうか。不協和音ではないのだが、なにか定まらない和音が続く。途中盛り上がる部分があるが、やはり暗い雰囲気が優勢である。
最後は木管楽器によって最初の主題が再現されて静かに終わる。

<第2楽章>
Allegretto 3/4拍子
1楽章の主題の変形がメロディーとなっている。1楽章と比べると軽妙なメロディーである。
何かに突き進んでいる軍隊の行進曲にも聞こえる。3拍子の1拍目に強いアクセントがあり、鋭さをも感じるフレーズである。Hrのファンファーレ調のフレーズが勇ましく聞こえ、とても印象的。

<第3楽章>
Largo 4/4拍子
特殊なパートわけが行われたこの楽章では悲しげなメロディーが奏でられる。このフレーズに、初演時には聴衆がすすり泣いていたというエピソードが残っている。
親類が逮捕され、処刑された時の気持ちを表わしているのかもしれない。自分の曲のせいでそんなことになった彼らに対するレクイエムのようにも聞こえる。

<第4楽章>
Allegro non troppo 4/4拍子
3楽章の悲しげなフレーズとは打って変わって、力強い、勇ましいフレーズが冒頭に金管楽器によって奏でられる。
この楽章は、冒頭とコーダ部分のテンポ解釈によって雰囲気が大きく変わってくる。この第5番に関してはショスタコーヴィチの直筆譜が失われているため、本人のテンポ指定は正確にはわかっていない。
欧州の多くの指揮者は比較的緩やかなテンポで始め、後半に向けて少しずつテンポを上げていく傾向が強い。このような演奏の場合、最初は少し暗い雰囲気を引きずるが、後半テンポが上がるにつれてそのような雰囲気が無くなっていき、明るい曲調へと変化する。
バーンスタインやその弟子である佐渡裕の指揮だと、最初からテンポが速めの解釈なので、あまり暗い雰囲気はない。前3楽章で感じていた暗さからの解放を祝うかのような演奏に聞こえる。
中間部はやや悲愴的なメロディーが奏でられる。光が少しずつ雲に隠されどんよりとした雰囲気へと変化していく。しかし、今までの楽章のような暗さとは違い、希望のある、出口のある暗さである。
スネアとティンパニの刻むリズムのところから、冒頭の主題が再現される。一般的にここのテンポと冒頭のテンポをそろえるため、冒頭遅く始めた演奏ではこの部分もゆったりと演奏する。逆に早く始めた演奏では、ここの部分は早いテンポで演奏する。
前者の場合、前半は少し暗さを感じさせるが、後半部の明るく展開していく部分でその暗さを吹き飛ばすような爽快な演奏となり、その対比がはっきりと表れる。後者の場合、最初の少し暗い部分を感じず、全体を通じて明るい展開に聞こえる。
最後はティンパニの力強いリズムと金管のファンファーレのようなメロディーが印象的で、全楽器がニ音を強奏して終結する。

〔参考音源〕
・ルドルフ・バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団演奏
https://www.youtube.com/watch?v=wQJ2FqkiPls
・佐渡裕指揮/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
https://www.youtube.com/watch?v=KZzue7NUU7E

《次回予告》
次回から「戦争三部作」といわれた交響曲第7番~第9番を3回に分けて、それぞれの曲ごとに紹介していきたいと思います。
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