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【週刊】Classic Music Salonへようこそ#8 ~「クリスマスまでには帰るからね!」―ラヴェル 組曲『クープランの墓』

「クリスマスまでには帰るからね!」
タイトルにも引用したこの言葉、これはある世界的な戦争に従軍したイギリス兵士が、家族に残した言葉です。
ある世界的な戦争、それは来年で開戦から100年目となる、第一次世界大戦です・・・。

みなさんこんばんは。三毛猫タマです。

サライェヴォ事件(当時墺が支配下に置いていたセルビアを訪問中だった同国皇太子夫妻がセルビアの青年に暗殺された事件)を発端に1914年7月28日に始まった第一次世界大戦。最初は支配国と被支配国同士の戦いであり、すぐに終結するだろうとだれもが思っていました。これに当時墺と三国同盟を組んでいたヴィルヘルム2世治下の独が、シュリーフェン・プランを実行する形で仏に宣戦布告した。これにより、各国の思惑が複雑に絡み合い、瞬く間に世界大戦へと発展してしまった。終戦は1918年の11月11日。両陣営の戦死者は約992万人、戦傷者は約2122万人に達しました。「クリスマス」までに終わるはずだった戦争が、4年3ヶ月を費やす長期総力戦となったのです。戦争が起きた当時、こんなことになろうとだれが想像したでしょうか?
私は欧州で起きた戦争の中でも、自分が勝手に三大戦争と呼んでいる戦争があります。それは1648年に終結した三十年戦争、そして二つの世界大戦です。特に第一次世界大戦は様々な新兵器(毒ガス、飛行機、機関銃など)が初めて使用された戦争であり、その兵器による後遺症は悲惨なものでした。
高校生の時、私は世界史の授業でNHKが制作したドキュメンタリー番組「映像の世紀」を見ました。20世紀は映像技術が大きく発展した時代であり、第一次世界大戦は世界で最初に映像に記録された戦争と言われています。そこには、とても信じられない光景が写っていました。塹壕(戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴または溝)で、整然と並んで銃を構える兵士たち。その時、ある兵士が銃弾を受けて倒れます。しかし、周りの兵士たちは倒れた兵士には目もくれず銃撃を続ける。後ろを通る兵士に至っては、その場に倒れている兵士を邪魔な荷物のように靴でけって退かす。とても信じられない光景が記録されていました。

さて、今回紹介する曲はラヴェル作曲ピアノ組曲『クープランの墓』(仏語原題:Le Tombeau de Couperin)です。この曲はラヴェルが作曲した最後のピアノ独奏曲です。ちなみに、邦題の『クープランの墓』という訳は、バロック音楽が日本にまだ知られていない時代に付けられたもので、この訳は現在では誤訳とされています。tombeauとは確かにフランス語で墓や墓標のことをさすのですが、音楽用語としては故人を追悼する器楽曲の意味であり、Le tombeau deとは「故人をしのんで」とか「故人をたたえて」という意味になります。そしてラヴェルがCouperinという人物をタイトルにしたその理由は、クープランはフランス文化の象徴的な存在であり、クープランに象徴されるフランスの文化や芸術を崇敬へのオマージュとして、そしてそれらを生み出したフランス人を鼓舞する意図で使われています。ではなぜ、ラヴェルはそんなことをしたのでしょうか?
この曲は1914年から1917年にかけて作曲されました。まさに第一次世界大戦の真っただ中でした。
ラヴェルはもともとフランスへの愛国心が非常に強い人でした。そしてクラヴサン音楽の大家フランソワ・クープランを非常に尊敬していました。そこで、フランソワ・クープランのみならず、18世紀の音楽全般に対する音楽としての捧げ物、いわゆるオマージュを書こうと思い立ち、1914年にこの曲の構想を練り始めました。しかし、1914年、第一次世界大戦が勃発。彼も野戦病院の車の運転手として従軍しました。健康を害しながらも1916年パリに戻ります。ところが、1917年1月、ラヴェルの母が亡くなります。彼の母はバスク人(系統不明の民族、スペインのイベリア半島バスク地方に分布していることからこう呼ばれている)で、沈み込んだ気持ちの中で、母が伝えたバスク人の血というものを強く意識するようになります(フランスという国も日本と同じように血統を強く意識する傾向があります)。また、この戦争で彼の友人も多く戦死しました。このことから、ラヴェルはフランスへの愛国心、大戦で散った友人達への追悼、そして母の伝えたバスクの血、これらすべてを織り交ぜて、友人達へのパセティックなレクイエムとしてこの曲を完成させ、それを通じて18世紀のフランスの音楽や伝統に敬意の念を表すことにしたのです。
この曲は「プレリュード(前奏曲)」<ジャック・シャルロ中尉>、「フーガ」<ジャン・クルッピ少尉>、「フォルラーヌ」<ガブリエル・ドゥリュック中尉>、「リゴドン」<ピエール&パスカルのゴーダン兄弟>、「メヌエット」<ジャン・ドレフュス>、「トッカータ」<ジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴ大尉>の6曲から成り、それぞれが<>で示した、第一次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられています。なお、自身が編曲した管弦楽版では「トッカータ」とフーガを除いた4曲で構成され、「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「メヌエット」、「リゴドン」の順に演奏されます。この曲は木管楽器に高度な技術が要請される曲として有名で、とくにオーボエにとっては最難関の曲とも言われています。
第一次世界大戦において、フランスはドイツに仇を撃とうとしていました。というのも、第一次世界大戦前に行われた普仏戦争で、アルザス・ロレーヌ地方をドイツ帝国に奪われ、ここをあのドイツから奪い返すことを目論んでいました。そのため、フランス国内ではあの憎きドイツをぶっ潰してやる!という機運が高まっていました(その集大成として現れたのが、1918年のヴェルサイユ条約における、ドイツに課せられた天文学的金額の賠償金です。ちなみにドイツはこの賠償金を2010年までに全額支払いました。なんと92年もかけて、一戦争の賠償金を払ったのです。これだけ見ても、いかに高額な賠償金がドイツに課せられていたのかがわかると思います)。「祖国のために!」そういって多くの兵士が戦地に赴き、散っていきました(ある部隊ではフランス国歌『ラ=マルセイエーズ』を歌いながら従軍したというエピソードが残っています)。その現実を見て、ラヴェルも、何もせずにはいられなかったのだと思います。特に、彼自身野戦病院にいたのですから、その現実を目の当たりにしたに違いありません。
私は戦争を知りません。目の前で戦闘が起きている風景を想像することは容易ではありません。想像を超えた、精神的にまっとうでいられない状況下で、その人は何を思うのか。そしてその思いをどのように表現するのか。自分だったらどうするのか。
ラヴェルはその思いを音楽にしました。目の前で人がばたばたと死んでいく。家族には「クリスマスまでには帰るからね!」と言って従軍した人たちが、今目の前で死んでいる。そんな光景の中で感じたものを表現したのが、この『クープランの墓』だと私は思います。
この曲に込めた気持ちの中で一番強いのはきっと「フランス万歳!」という気持ちでしょう。私は「戦争をしてはいけない」という気持ちはそんなに強くないのだと思います(もちろん戦争をしてはいけないのは常識です!)。どちらかというと、「祖国フランスのために命を懸けた彼らに敬意を表して」という思いで、書いたのだと思います。祖国を誇りに思う気持ち。どこか、日本人に相通じるものがあるのではないでしょうか。
私の所属する大学のオケで、来年の春、この曲を演奏します。第一次世界大戦勃発から100年という節目の年に、この曲を演奏することになにか、運命的なものを感じてなりません。
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