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ヴィオラ会の三毛猫タマ

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【お知らせ】今後の記事の更新について

皆様こんばんは
サロンオーナー三毛猫タマです

なんとなくお察しの方もいるかもしれませんが、今後当ブログでは「戦争とクラシック音楽」をテーマにしばらく記事を配信したいと思います。

今年は第一次世界大戦開戦から100年、そして来年2015年は第二次世界大戦終戦から70年と節目の年を迎えます。
日本でも集団的自衛権の問題などで、「平和」とは何なのか、考えている方も多いかと思います。

私を含め、いま日本にいるのは戦争を知らない世代です。いったい何があったのか、戦争とはいったいどのようなものなのか、実体験がなくとらえようのないもののように見えます。
そこで手助けになるのが音楽だと私は思います。

当ブログはクラシック音楽がテーマですので、クラシック音楽の面からその点について考察していきたいと思います。
いつも以上に真剣に記事を書こうと思いますので、更新頻度が下がるかもしれませんが、その点についてはご容赦願いたいと思います。

今後の流れとしては
第一次世界大戦期を生きた作曲家たち(ラヴェルやシベリウスなど)
→第二次世界大戦に翻弄された作曲家ショスタコーヴィチについて記事を3本ほど書こうと思っています。取り上げる曲は「戦争三部作」と呼ばれる、交響曲第7~9番です。これ以外にも有名な第5番について取り上げるかもしれません。
のように考えています。

よろしくお願いします。
それではまた。
サロンオーナー 三毛猫タマ
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【週刊】Classic Music Salonへようこそ#17 ~第一次世界大戦開戦から100年・・・混乱の時代を生きた作曲家たち①

みなさんこんにちは。三毛猫タマです

しばらく、オケの仕事で忙殺されておりまして、更新が滞っておりました。
申し訳ありません。

そんな、私がオケで忙殺されている間に、ヨーロッパでは一つの大きな節目を迎えていました。
そう、今年は第一次世界大戦開戦からちょうど100年にあたる年なのです。
今から100年前の1914年の6月28日。オーストリア支配下のサラエボで皇太子夫妻が、セルビアの青年に暗殺される事件が発生しました。7月28日にオーストリアがセルビアに宣戦布告することで、人類史上最初の世界大戦の火ぶたが切られるのです。
戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定されているこの戦争。これまでの戦争では考えられない悲惨な戦争となったのです。

開戦から100年。この大混乱の時代に生きた作曲家たちを何人か紹介したいと思います。

今回はデンマークの作曲家カール=ニールセン、特に彼の作品の中から、もっとも有名な交響曲第4番「滅ぼし得ざるもの」を取り上げたいと思います。

ニールセン(1865年6月9日~1931年10月3日)はデンマークを代表する作曲家であり、北欧の代表的交響曲作曲家としても知られます。同時代に生きた有名な作曲家にはシベリウスがいます(みなさんはこっちの方がよくご存知かもしれません)。

今回取り上げる交響曲第4番は、1914年から1916年にかけて作曲された、まさに第一次世界大戦の真っ只中に書かれた作品です。

デンマークはほかの北欧の国々とともに中立の立場を維持しましたが、デンマークの経済は輸出に大きく依存していることもあり、ドイツが行った潜水艦無差別攻撃作戦によって多くの損失を受け、経済は停滞、物資が不足し、暴利をむさぼる者が出るなど、決して戦争と無縁ではありませんでした。

私が考えるに、デンマークの人々は、第一次世界大戦を少し引いた目で見ていたと思います。当事者ではない。だから、両陣営を冷静に見ていたように思います。しかし、ドイツと国境を接していますので、決して争いごとに無縁ではなかった。実際に戦争終結後、シュレースヴィヒの帰属でドイツと衝突します。

ニールセンが書いた交響曲第4番には同じ主題が、全楽章を通じて執拗に繰り返し登場します。まるで、争っても争っても消えない紛争の火種のように。副題の「滅ぼし得ざるもの」とはこれを指しているのかなと思うくらい。でも、曲の中に暗く、重たいものは感じられないのです。そこが、当事者ではなかったからこそなのではないでしょうか。

<曲について>
この曲は、古典的な4楽章形式をとっていますが、通常の交響曲のように楽章が明確に分けられているのとは異なり、全楽章が通して演奏される単一楽章形式で演奏されます。
また、一つの曲の中で調が移っていく多調性が採られており、古典的な調の指定はありません。

編成的な特徴として最終部の2群ティンパニの競演が挙げられます。この競演が曲の激しさを印象付けているといっていいでしょう。

この曲は単一楽章の曲ですが、今回は便宜上4楽章に分けて解説したいと思います。
―第1楽章―
冒頭部から激しい曲調で始まり、弦楽器のtuttiで主題が提示されます。この主題はこの曲全体を通じて繰り返し再現されます。
激しい冒頭部が終わると木管楽器による穏やかな曲調へ移行します。クラリネットを中心とした木管楽器の掛け合いが美しいところです。
その後弦楽器によって第2主題が提示されます(これは曲の最終部で再現されます)。
この曲全体に言えることですが、一つのフレーズが、ここまでやるかというくらい様々なパートに受け継がれていき、執拗に再現されることです。その再現が複数重なることでぐわーと曲が盛り上がる・・・これが、(私が思うに)様々な利害(しかも昔から根本的に変わらない人間の欲望に基づく)が重なり合うことで一つの「戦争」が盛り上がってしまう様を表わしているように感じます。
この第一楽章は緩急の繰り返しが連なる、激しい曲調が印象的です。

―第2楽章―
段々と曲調が穏やかになっていき、木管が牧歌的メロディーを奏でる、田舎を彷彿とさせる第2楽章がはじまります。クラリネットとファゴットの掛け合い、その後フルートとファゴットの掛け合い。激しさから解放され、一息つける安心感を抱いているような気持ちになる楽章です。
メンデルスゾーンもそうですが、私個人的には、こうゆう木管楽器が映えるメロディーを書く作曲家が好みだな、と思います。何とも言えない美しさを木管楽器は持っていると私は思います。
その後、弦楽器のピチカートが加わって、いままでとても穏やかだったのが、少し曇り始めたような雰囲気の曲調へと変わっていきます。
しかし、またクラリネットによって2楽章最初の主題が再現され、元の穏やかな雰囲気へと戻っていきます。

―第3楽章―
静かに木管のメロディーが、雲に隠れる太陽の光のように消えていくと、ヴァイオリンによって、灰色の雲が近づいてくるときに吹く冷たい風のような、少し重たいテーマが提示されます。これにティンパニの「ドン、ドンドン」というリズムが、その重たさ・冷たさを助長させます。
そんな中、中盤に入ると、雲の間からかすかに差し込む太陽の光くらいの温かさくらいの温度を感じさせるメロディーが、低弦によって奏でられます。しかし、その太陽の光も、すぐに周りにある灰色の雲によって遮られてしまう。ほっとできるのもつかの間。段々とその太陽が差し込む時間が短くなっていき、ついには差し込まなくなってしまう・・・第一楽章のような、嵐の予感がする曲調へと変化していきます。
まるで、平和な、何もない世界がほんのひと時であるような、そんな風に感じさせる楽章だと思います。

―第4楽章―
オーボエのソロの後、ヴァイオリンによって、激しいメロディーが提示されると、これを低弦が受け継ぎます。その後、この曲の特徴の一つであるティンパニ2群の競演がはじまります。第4楽章は少し暗い雰囲気もありつつ、何かその暗さに打ち勝った、勝利(あるいは解決の喜び)を感じさせる明るいメロディーも現れます。明るさと暗さが交互にやってくるような感じ。
しかし、また暗い雰囲気が優勢になっていき、ティンパニの激しい競演によって激しさを増します。その激しさを弦楽器が、そして木管楽器が受け継いでいきます。そして、最後は金管楽器によって何かに勝利したような、空へと突き抜けていくような爽快なメロディーが奏でられます。
私は、その「何か」は歴史上人類が繰り返してきた、「いさかい」のような気がします。

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▲ニールセンの生まれ故郷オーデンセの教会

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