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【週刊】Classic Music Salonへようこそ#14 ~スメタナ、チェコ独立を音楽で後押しした国民楽派の先駆者(連作交響詩「わが祖国」)

みなさんこんにちは。三毛猫タマです。
更新が滞り申し訳ありません。

とりあいず、記事が1本完成したので配信したいと思います。

今回の配信では、チェコの国民的作曲家スメタナが作曲した「わが祖国」についてお話ししたいと思います。

「わが祖国」。日本においては第2曲「モルダウ」が非常に有名ですが、これ以外にも5曲の作品がセットになっています。

スメタナ(1824-1884)はボヘミア出身の作曲家です。いわゆる「国民楽派」を発展させた先駆者とされます。今回の「わが祖国」もその代表的作品と言えます。
スメタナの出身国であるチェコはオーストリアをはじめとした欧州の列強に大きく左右されることの大きい地域でした。
ボヘミアと聞くと、どこだろうと思う方もいらっしゃる方も多いかと思います。ボヘミアとは現在のチェコ(分離独立前の名称はチェコスロヴァキア)の西部・中部地方をさす地名です。この地域は民族構成が複雑で、この地域の領有が紛争の原因となったことも多々あります。ちなみに、世界史で習うフスの宗教改革はこの地域で始まりました。また、「ボヘミアン」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この言葉はこの地域に住む民族の民族衣装がその由来とされています。
スメタナが活躍した19世紀、チェコはハプスブルク家治世下のオーストリア帝国の支配下にありました。しかし、この地域に住んでいるのはスラヴ系のチェコ人であり、民族意識が芽生え始めるとともに、ドイツ人国家であるオーストリアから独立する機運が高まっていきます。スメタナもその独立運動に参加していました。スメタナの死後1918年、約1000年ぶりにチェコは独立することになります。
スメタナは1869年から1872年ごろ、チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようと考えるようになったといわれています。ちなみに、「わが祖国」は6つの曲から構成されますが、それぞれの曲の初演は別々に行われています。彼は第1曲「ヴィシェフラド」の完成(1874年)の前後から聴力を失っていますが、作曲は継続され、第6曲「プラニーク」は晩年の1879年に完成しました。当時交響詩はあまりなじみのある作品形態ではなかったことから、彼は譜面にそのモチーフなどを書き残しています。

<曲目別解説(画像はすべてウィキペディアより引用)>
第1曲「ヴィシェフラド」(変ホ長調)
初演:1875年3月14日
この作品の中では、スメタナが聴力を失う前に大方の曲想が出来上がっていた唯一の曲です。
この作品は実在するヴィシェフラド城をモチーフにしています。「ヴィシェフラド」とはチェコ語で「高い城」を意味し、城は昔ボヘミア王国の国王の居城でもありました。しかし戦乱によって廃墟と化してしまいます(現在は城址公園として整備されている)。
彼の残したモチーフメモによると、冒頭のハープは吟遊詩人(Lumír)のハープであり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というものだそうです。ハープのメロディの後でこの交響詩全体で何度も繰り返し現れる主題が提示されます。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)はヴィシェフラド城を示しており、第2曲「ヴルタヴァ」の終わりと第6曲「ブラニーク」の終わりにも提示されます。なお、この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭-E♭)が音として刻まれています。
城の栄枯盛衰を表現したこの曲。美しくも、その美しさの中に何か悲しそうな音も見え隠れする、その絶妙なメロディーに心打たれます。穏やかな時もあれば激動の時もある、美しく見えるときもあれば廃墟と化す時もある。時の移り変わりを感じさせる音楽です。後半に現れるマーチ風のメロディは、チェコの古王国をたたえるようなメロディに聞こえます。
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ヴルタヴァ川河畔に聳え立つヴィシェフラド城

第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」(ホ短調)
初演:1875年4月4日
彼はボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすために、この曲に「トーン・ペインティング(音楽が歌を文字通りに模倣する音楽技法。たとえば、上がることに関する歌詞には上昇する音階が伴い、死に関する歌詞には遅く暗い音楽が伴う<Wikipediaより>)」を用いました。
彼はこの曲について次のように書き残しています。
この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名エルベ川)へと消えていく。
六曲中の中でもっとも有名なこの曲、印象的なフルートのメロディで始まります。
中低弦が奏でるアルペジオにのって、メロディーが流れていきます。
第1曲で「時」という絶え間ない流れを表現したのに対し、この曲では「川の流れ」という、これまた絶え間のない流れを表現しています。両者の違いは「目に見えるもの」か否か。
川の流れも時には穏やかに、時には激しくなります。平穏な時代と激動の時代がやってくるのと同じように。欧州の川は日本の川と違って急流ではありません。大きくて穏やかな流れです。でもそんな穏やかな川にも、激しく流れるところがあるのです。
そんなダイナミックな世界観を、彼は一つの曲で表現したのです。まさに「交響詩」であります。
220px-PragueCityscape.jpg
プラハを流れるヴルタヴァ川

第3曲「シャールカ」
初演:1876年12月10日もしくは1877年3月17日
「シャールカ」とはプラハの北東にある谷の名であり、またチェコの伝説に登場する勇女の名でもあります。彼女に関する物語は次の通りです。
「シャールカは失恋によって受けた痛手を全ての男性に復讐することで晴らそうと考えた。ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツティーラトの騎士たちが通りかかる。助けられたシャールカは、酒をふるまい、皆がすっかり酔い潰れて眠ったのを見はからうと、ホルンの合図で女性軍を呼び、騎士たちを皆殺しにする。」
こんなことをした女性を「勇女」と呼ぶのはいかがなものかとも思いますが、ひとまず話は話。
このストーリーを曲にしたのが第3曲です。スメタナは劇的なメロディーでこの物語を曲にしました。

第4曲「ボヘミアの森と草原から」
初演:1875年12月10日
この曲は何か特定の物語を描いているのではありません。曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられ、最後は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられます。この曲で、彼はチェコの美しい田舎の風景を表現しました。

第5曲「ターボル」・第6曲「プラニーク」
初演:1880年1月4日
「ターボル」と「ブラニーク」は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものです。それゆえ、スメタナは両曲をセットで初演するよう望んだといいます。
ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点でした。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられました。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こします。この戦いは18年にも及ぶものでしたが、結果としてフス運動は失敗に終わってしまいます。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることとなりました。
ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もあります。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活するとされています(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられます)。
チェコの人々はヨーロッパ社会を根底から大きく変えた宗教改革が、自分たちの国から始まったことを誇りに感じています。フスはまさに自分たちの国の英雄なのです。
スメタナがこの曲を作曲していた時期は、チェコがオーストリアから独立しようとしている時でした。フスのように、母国独立のために全身全霊をささげる人々に、勇気を奮い立たせる曲を・・・という思いを込めて作ったのではないでしょうか。そして、この曲はチェコのために命をささげたフスに対する、レクイエムでもあるのかもしれません。
この曲の最終部分は「ターボル」にも使われたフス教徒の讃美歌「汝ら神の戦士」が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じます。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出しているのです。
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現在のターボルの旧市街(2007年)
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南西から望むブラニーク(2006年)

チェコという国は、長い間自分たちとは違う民族の国に支配されていました。今まさに、そこから独立しチェコとして独立した国になることを、この曲を書いた当時、スメタナはどこかで確信していたのでしょう。
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